統一戦線義勇軍

同血社会長 河原博史氏との「民族派対談」

「漫画実話ナックルズ」 平成18年4月18日発売号掲載
インタビュー・構成は編集者による

”右翼”から連想されるもの

六本木は知っていても、イデオロギー等とは無縁の破落戸(ごろつき)であった。

そんな人生の中で右翼を名乗る手合いとも知り合い酒食を共にしたこともある。 しかし残念ながら自分の知り得る右翼の中に憂国の志士は一人としていなかった。

政財界のフィクサーとして知られた児玉誉士夫氏や一日一善を題目の如く唱え続けた競艇会ドン・笹川良一氏も右翼を標榜していたが自分に言わせればスノビズムの権化のような拝金主義者でしかない。 その証拠に彼らは豪邸に住み巨万の富を蓄えていたではないか…。

かく言う私も現金は大好物である。 従って拝金主義に異を唱えはしない。唯、金儲けにはダーティさが伴うことを忘れてはいけないのだ。 かの赤尾敏氏は生涯を陋屋(ろうおく)で過ごした。 彼のやったことの成否はともかく如何にも思想家らしい生き様だと自分は思っている。

二人の若者

昨年、日本の総理大臣小泉純一郎と韓国大統領、ノ・ムヒョンに我が指を詰めて送り付けた瘋癲(ふうてん)右翼がいた。 同血社の河原博史会長である。

彼はその理由をこう語った。

河原 「ソウルのいち市議が『竹島の日』に反発して指を切った血で抗議文を書こうとした。これは完全にパフォーマンスなんですが、それを日本のマスコミが過剰反応して一面で報道したんです。 あれはもう利敵行為でしかない。しかもそれをクローズアップするだけで政府もマスコミも事実を歴史的にきちんと検討して相手国に主張をぶつけることもしない。 つまり失地領土問題だけではなくて、国交間の政治的な問題なんです。 韓国人と違って日本人はおおらかな面がある。だからといって何も起こってないわけじゃない。 そういったことを衷心(ちゅうしん)より憂いている国民がいるということを小泉とノ・ムヒョンに伝えたかったんです」

河原氏と会うのは今日で二度目であるが断指という過激な方法で政府と韓国に日本人をアピールした行為に素直に共鳴できるのである。意味と目的に格段の差があっても、同じく指を詰めた者としての親近感の故であろうか。

20分ほど遅れて統一戦線義勇軍の針谷大輔議長が我々の待つ中華街の店に到着した。 彼は昭和62年に住友不動産の会長宅襲撃事件に参画した経歴を持つが、本人はそれだけをとって自らの代名詞とされることを不本意としている。長らく池子の米軍住宅反対運動等にも尽力してきたからだ。

なぜ右翼になったのか? 自分は生来の怠け者で働くことが何よりも嫌いだったから破落戸になるしかなかった。 そこで彼らが何故、右翼になったのか知りたく、尋ねてみた。

河原 「自分は先輩に誘われたんですよ、やることがなくて、今みたいに国体観念とかもなかったんですが、唯、やっていく内にそういうことを学んでいったんです」

針谷 「僕は元々暴走族でしたけど、変わった暴走族でしたね(笑)。三島由紀夫の『祖国防衛論』とか読んで憂国忌と野分祭があることを知り、まずは憂国忌に行こうと。その頃に河原会長と同じように先輩の誘いで、ある右翼団体も見に行った。 しかし、『これは違うな』と。で、元自衛官の人と憂国忌を見に行き、一水会の鈴木邦男さんや木村三浩さんと出会い、この人たちはちょっと違うなということで、ここでやってみようと思ったんです。 一水会は同じ反米だった。右翼と言えども当時はなかったですから」

河原 「自分の場合、出だしこそ親米だったけど、現在、心情的には反米ですね。そして”超米”を唱えている」

針谷 「昔は親米が当然だった」

河原 「しかし、今思うと、反米、親米と言うのも戦後体制の枠組みなんじゃないかと思うんですよね」

編集 「俺が子供の頃は米軍の占領下にあって、進駐軍の兵士が町に溢れてた。それで子供が最初に覚えた言葉がギブ・ミー・チョコレート。これに応えてG・Iがチョコレートとガムをジープから放るんだ、さも偉そうによ。だから未だにチョコレートは好きじゃない」

針谷 「そういう感覚って大事ですよね」

河原 「そういった人たちの中でアメリカに感謝する人間なんていないと思うんですよ。日本人は本来、誇り高き民族なんですから」

民族派であることと天皇陛下

民族から連想して自分は「民族派」とは何かと問いかけた。

河原 「天皇陛下による神国家の再建、勤皇です」

針谷 「僕は自然ですね、自然と共に生きる『神ながらの道』というのは自然の道のことですから、自然を愛して自然と共に生きる。それを天皇陛下という存在に求めて、その結果、ひとつの統一性で成り立っているのが日本なんです。その秩序を守り伝えていくのが民族派だと考えてます」

河原 「民族派というのは、即ち、原理主義者ということかな。それと、資本主義者ではないことです。右翼、左翼という呼び方は、おそらく利便性だけで付けたマスコミ用語ではないですか。まあ、あえて自分は右翼を標榜もしないし、否定もしませんけど」

針谷 「僕は簡単ですよ、僕はフランス人じゃないから。ただガキの頃は胸を張ったこともありましたよ(笑)。だけどそういう意味での右翼ではないから矢張り民族派なのかなと。マスコミ流に言えば新右翼ですといった言い方をすることもあります」

ヤクザと右翼に思うこと

更に任侠右翼について尋ねると、

針谷 「自分たちの活動を邪魔しないでくれればいいです。唯、右翼への入り方として僕も暴走族だったし、別に任侠右翼だっていいと思います」

河原 「自分も任侠右翼を否定しません。ヤクザであっても陛下の赤子ですから」

そして彼らは日本人に対するメッセージを語ってくれた。

針谷 「富士山に登れです(笑)。登ればわかりますよ、苦労して登り、頂上に立つと日本人に生まれたことを誇りに思えます。僕は自然信仰ですからね、あそこは霊峰と呼ばれる霊域ですから」

河原 「僕はまず、萬古、天皇を仰げです。そして父母孝。父母を敬えということですね」

 

今の政府与党に対しての彼らの意見は辛辣きわまりなかった。

河原 「ばかばかしくて話にならないですね。結局ポツダム政党なんですよ、全て。現在の選良はみな敗戦症候群を患っているんです」

針谷 「僕は自分たちの子孫のことを考えてみてと言いたいですね、それでどう思うの?と。彼らは国と国民に対する責任を絶対考えてないから、彼ら自身の子供や孫に対しての責任を考えてと伝えたいです。そうすれば自ずと百年後の日本のことを考えるようになる」

彼らの祖国に対する思いは熱く、その姿勢は、あくまでも真摯であった。

反米であっても戦略論から言えばアメリカと手を繋ぐこともやぶさかではないという意見も的を射ており興味深く聞けたし、主権在民ではなく一君万民と言い切る意見にも、なつかしき感銘を受けた。

平成18年3月初旬のはずが、昭和18年当時にタイムスリップしたかのような思いがしたのも事実である。

二人は正に、現代の益荒男(ますらお)であった。