統一戦線義勇軍の歴史・沿革

昭和56年9月23日、木村三浩前議長を中心に結成。「反米愛国・抗ソ救国」を掲げ、「左右両極に抗し、真の民族解放・第三勢力の創出」の理念の下、先鋭的な活動を展開する。

昭和57年、「マルビナス(フォークランド)紛争」勃発に際し、「反英」の立場から「アルゼンチン支持」を表明し、英国大使館に火炎瓶を投擲する。同9月、日本政府の弱腰外交を糾弾、檄を飛ばすべく、鈴木善幸首相(当時)私邸を襲撃。

昭和60年、「池子米軍住宅建設反対闘争」を展開し、防衛施設庁・横浜防衛施設局に火炎瓶投擲。また、同問題に絡み、外務省職員を襲撃。昭和62年、地上げ問題に代表される「住友不動産」の悪質な営利至上主義体質を討つべく、同会社社長・安藤太郎(当時)私邸襲撃に連座。

昭和63年、「反ソデー(現・反ロデー)」デモ行進中に武装警察権力と衝突、同志13名が不当逮捕される。

平成7年、「大東亜戦争開戦を記念する横須賀反米集会」において、デモ隊に乱入した米軍属白人を撃退殲滅。同志1名が不当逮捕。

平成8年、クリントン米大統領(当時)訪日に際し、武装闘争を計画し、針谷議長が拳銃所持にて逮捕される。

平成17年、中共政府の覇権主義・侮日外交政策に憤激、在大阪・中国総領事館を襲撃。

・・・・・・これら数々の武闘・非合法闘争と並行しつつ、民族派陣営として初の「反米デー」を提唱し、現在に至るまで反米闘争を精力的に展開している。

また、「自衛隊解体・国軍創設」のスローガンを掲げ、結成以来、自衛隊工作活動にも力を注ぐなど、議長・針谷大輔を中心に、従来の運動形態と異なった、独自の運動を全国規模で展開している。

統一戦線義勇軍 中央委員会