統一戦線義勇軍

「愛国者の為の国防論①」

議長 針谷大輔
「緑旗」 平成11年11月15日発行 復刊第2号より

生意気にも、私ごときが国防論を語るのは自ら恥ずかしい限りだが、ここで言う国防論とは、日本人がいかにして生存していくのか、『国家百年の計』これをいかに考えて行けば良いのか、我々の子孫が生存して行くためには、一体、現在何を成さねばならないのか、という立脚点に立って、国防の本質を見極めようというものである。

国防というとすぐに軍事力を考えてしまいがちだが、国家の安全保障という観点から考えたならば、やはり「衣・食・住」から考えなければならないと思う。

飯が食えず、住む所も定まらず、エネルギー・暖もとれないとなれば、これでは軍事力を語ることは出来ないであろう。

戦後の我が国を考えた時、確固とした独立国家として、この辺の事は考えられていた。

満州に進出したのもまた、この基本となる「衣・食・住」経済的困窮からの脱却にあった訳であるし(当時は、力による駒取りゲームが国際常識となっていたことから)、あの大東亜戦争へと引きずり込まれていったのも、アメリカによる石油の禁輸というエネルギー問題が深刻化してしまったからである。

この様に、戦前の我が国は、私がここでいう国防の基本理念、「衣・食・住」をしっかりと考えていたことになる。

私がここで述べようとしているのは、決して新しいことではなく、戦前の日本ならば当たり前の様に考えられて来た事である。

まずは「衣・食・住」をどうやって確保するのか、その事について、我々、愛国者と自負する者は、考えて行かなければならないだろう。

ならば我々は何をしなければならないのか、その事について、今後この緑旗の紙面を借りて、愚論を述べて行きたいと思う。

まずは食料安保を考えろ

そこで今回はまず、「衣・食・住」 の中でも一番大切な、食べるということについて、国防的見地から話しをして見たいと思う。

皆さんもご存知の様に、我が国に食料自給率はカロリーベースでたった41%程度、実質20%台という、先進国中で断トツで最低、砂漠を抱えるアラブ諸国とどっこいどっこいという悲惨な状態、戦前の食料自給率が約80%だったのだから、本当に終わっているとしかいえない、

戦前、あれ程『国家百年の計』を真剣に考えて来た日本民族の筈なのに、この状態は情けないとしか言い様が無い。誰一人、戦後この事に目を向けた政治家は居ないのである。

高度経済成長などと浮かれていて、何ら本質を考える政治家が居ないために、否、国民の精神が堕落してしまった為に、この国は本当に危機的状態になってしまったのである。

ある馬鹿な連中は、「経済発展の為にも、食料は輸入に頼ればいい」などと述べている。何が経済発展の為に輸入に頼ればいいだ!

食料が戦略物資であることは国際常識として自明の理ではないか。だからこそ先人たちがこの山の多い島国日本なのに、食糧の確保に血眼になって居たのではないか。

その国家存亡に関わる安全保障の常識を考えずに、軽はずみにものをいう人間が多すぎる。

現在アメリカが他国に要求を飲ませる為に、一体どの様な手を使っているのか分かっているのだろうか。彼らは、食料という人間が生存して行く上で一番大切な物を戦略物資として、相手国に要求を飲ませているのである。

我が国は北朝鮮とは違う。もしアメリカが戦略物資として食料の禁輸をしたら、金正日の様に、国民を見殺しにする事など出来る筈が無い。生き残る為に要求を飲まされるだけなのである。

小麦、とうもろこしの約98%がアメリカ、カナダからの輸入でまかなわれている。ということは、我が国の生命線を世界一の覇権国家米国に握られて居るという事なのである。

我々は忘れてはならない、食料は戦略物資であるということを、そして彼の国アメリカには、国家安全保障に関わる法律なる物があり、その中で平然と食料の禁輸を謳っていることを、もし戦略物資として使われなくとも、アメリカ国内で不作が発生し、輸入にまで回せなくなった時には、あの昭和48年に平然と小麦の禁輸を行った様に、自国の国民を守るという彼らなりの大義名分を掲げて、我が国に対しては平然と禁輸を行う事を。

だからといって私はアメリカを批判している訳ではない。国際社会というのは未だに西洋の論理で動いている為、弱肉強食なのである。このアメリカのやり方であるが、我々は反面教師として見習わなければならないのだ。自国の安全保障を考える事は、国際常識なのである。

それを何ら考えない我が国こそ非常識なのだ。

ならばどうしたらいいのか、その件に関しては次号以下に譲る事にする。

この先、私の運動の命題である「国を守るために何が出来るか」ということの基本になっている国防論、安全保障に関する考えを、しっかりと述べていきたいと思うので、よろしく。

(続く)